20日、満員御礼の中、無事終演。
多くの笑顔で会場がいっぱいになった、本当に素敵な時間が流れた公演でした。
初めてこの演目を見たお客様が多かった今公演でしたが
帰るときには、みんなが、
「こんなに楽しいオペラってあるんですね。」
「次回は必ず友達いっぱいに声をおかけますから、またやってください!」
と、声を弾ませていました。
昨年3月の再演、
風の丘にとって、同じメンバーでの再演は今回が初めてでした。
私にとって
再演のあらたなるエネルギーという ものすごさを
知る機会になったのでした。
2回目となると、ソリスト逹が各役柄でのそれぞれの度量を既に知っているぶん、
相手の「役」への信頼が、前回から共にした時間のぶんだけ長くなるぶん、
信頼が増すのだそうです。
すると、こういったブッファは
更なる自分での挑戦と、その掛け合いの新たな展開、
皆がそれぞれ挑戦し、試し、
更なる程よい按配の距離を作り上げていくのです。
すると、観ている観客も、前回とは全く違う 倍増した魅力を目の当たりにする。
その感動がさらに忘れがたいもの、になっていくのです。
あっ、、、!
これが、ロングラン、ということなんだ!!!!
日本ではロングランというと、代表的なものだと
劇団四季のミュージカルしか・・ないが、
それは、こういうことなんでしょうね。
聴衆心理からは、
ちょっと意味合いが違うけど、年末の恒例「第九」も、そのうち??なのかな?
それがオペラにだって、あって当然なのかも!
オペラならなおさら、生の舞台、その瞬間しかない舞台芸術。
ミュージカルは録音で口パクで上演しているし、
演出がきちっと型にはまっているから、
今回のブッファのような自由度、生の爆発を楽しむというのとは、
ちょっと違うのかもしれない。
すると、、、
この秘密の結婚のブッファのロングランが叶えば、
日本人の価値観が変るかもしれない??
*****
今回は、初日のファミリー券取扱い公演のみ、オペラ紙芝居を上演。
これが、子供は勿論、
大人たちにも大好評でした!!
またまた私の準備不手際で、
このオペラ紙芝居の模様を映像に残せないという失敗をしてしまいましたので、
皆さんへブログ内でお見せできないことが残念ですが・・・・
オペラ紙芝居という手段での
オペラ観たことがない人へのアプローチはとても良いのではないか、と。
ということで、
急遽、
次回のコジファントゥッテ では、
全回オペラ上演前に
オペラ紙芝居の上演を行なうこととします。
チラシには記載されていませんが、開場時間には、紙芝居上演を開始します。
どうぞ、はや目にいらして、あらすじや、聴き所を
紙芝居で楽しんで把握してくださいませ。(^o^)/
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風の丘は、常に、最上の質で
客席と舞台が一体の公演をお届けしています。
芸術は、本当に良いものを見聞きしないと、本当の感動は味わえないものだとおもいます。
それを叶えられる場所が風の丘だと、自負しています。
風の丘で上演されるものは、
どんな演目でも、知らない演目でも、
風の丘が絶対に面白い、と
お勧めして
上演を選んでいる作品であり、
このソリストだ、と人選をして上演しています。
人生の中で、ちょっと悲しい出来事があったり、辛いことがあっても、
一息、全身で音楽を浴び、
人類の歩みから、次の歩みへ踏み出す力や知恵を与えてくれるオペラを
風の丘のオペラから感じていただけると思っています。
きっと、良いエネルギーが湧き出てくるはずです。
きっと、昨日の悲しいことがちょっと小さくなるかもしれません。
きっと、辛いことが明日はちょっと軽く思えるかもしれません。
ここ何年か、毎回、非常に遠路のなか、
わざわざ、飛行機を使い、新幹線を使い
千葉までみに来てくださる方が非常に多くなりました。
それでも、
わざわざみに来た甲斐がありました、と
笑顔で帰宅の路についてくださるお客様の姿を見ると、
こんなに嬉しいことはなく、
いつまでもうしろ姿をお見送りします。
今回の秘密の結婚で、
オペラが日本で将来あるべき姿を
ちょっと、感じる機会になりました。
ソリスト逹、技術者達は、その芸術を古典を正確に伝承することのみに
エネルギーを使うことが正しい。
だから古典と言われるまでに、いつまでも廃れることなく
受け継がれ、大切にされてきた人間の足跡であるから。
古典は、一方で、現代の人間には、とっつきにくいものである。
難しい、つまらない、のリが悪い、などなど、触れたことがないと
ついつい思いがちである。
でも、一歩、逸れに触れてしまえば、そのエネルギーの凄さに、圧倒されて、
逸れはまるで本能の反応のようにひれ伏してしまうほど、、なのです。
でも、触れてみないと、その感覚は、全く想像の域を超えるものではないのです。
そこへ、一歩、踏み出すこと、
それを後押しすることが
私たちプロデューサーの任務。
古典は、技術者に全面的に信頼をして舞台を任せ、
我々は客を席へ座らせることへのアイディアを搾り出す、これが仕事。
ポップスの世界のプロデューサーとは、全く桁が違うほどの辛抱と努力が必要だと思っています。
なぜか、
ポップス界は、商業にのって、大きなお金を動かすことが容易だからです。
名前さえ売れていれば、
こちらの熱意さえあれば、アイディアさえあれば、信頼を勝ち取ることが出来れば、
彼らを動かし、その先にあるお金が動くことが容易に想像でき、
なんでも容易に動かすことが出来るはず、なのです。
さだまさしさんが、夢を叶える為に、中国での映画を作ったとき、おおきな借金をしたらしい。
しかし、彼は、借金をしたということは、それを貸してくれた人がいるから借金できた、
つまり、貸した人は自分が返せると思ってくれたから貸してくれた、ということは、自分は返せる、と。
そういうことなんです。
さださんのような天才ほどの人になれば、
一般庶民が想像もできないほどの大きなお金が、庶民のふところの出金にもかかわらず、数の多さが故、、、チリも積もれば山となり、容易に動く。
しかし、古典は、クラシックは、きほん、商業主義にのれない。
でも、私は、古典で庶民へのアプローチを諦めたくない。
商業主義にのれないけど、
いつか、この小さな波が少し大きな力を持ってくれて、
日本人の価値観へ投石が出来たらと願っています。
お金では動かすことが出来ませんが、
心を動かす力を持っている、歴史がそれを語っている、と
強く強く、信じています。