2011.01.28 Friday
オペラ字幕のあり方も、これから・・・・!
オペラ研究所の開催するシンポジウムへ、参加してきました。
オペラの字幕のディスカッションで、 うちの公演でお世話になっている演出家の松本重孝さんと、 オペラの字幕や解説、執筆活動をされている増田恵子さん、 そして、 映画の字幕で有名な、戸田奈津子さん。 最初に、昭和音楽大学教授の広渡勲さんから オペラ字幕の歴史を、まとめ上げた資料を使い お話しいただきました。 私は、オペラに携わり、たった10数年ですので、私がオペラを観に行っても 字幕があるのが当然という時代からしか知らないので、 昔から当然のようにあると信じて疑いませんでした。 それが、びっくり!! なんと、字幕が使われだしたのは、たった35年ほど前が初めて。 しかも、、、、 初めて、試験的に使われてた大きな劇場でのオペラ公演は、 藤原歌劇団の「仮面舞踏会」1986年2月。 しかも、松本重孝さんが、歴史に残る初めての字幕を担当したのでした! 技術的には、 今のように、パソコンがある時代ではありませんから、 ネガに焼き付け、 映写機(あの丸いところに映像のネガを一枚ずつはめ込んで、カチャカッチャ と回転しながら光でネガをうつしだすもの!今の人知ってるかな・・・) から、写す手法。2台の機会を交互に動かして写していたんですって。 それも、あの丸いところに限られた数のネガしか入らないので、 そのネガ台2台の交換をするのに、5十数秒かかり、 最程度もこの秒数を確保できる間奏曲があったり、 休憩があったり、でない交換できない、という、 枚数制限のある中での字幕を考えなければならず、大変な苦労だったそうです。 そして、舞台関係者は、といえば、演出家も出演者も、字幕によって目が奪われたり、 舞台の美術に邪魔のように入る字幕が、誰しも反対! さらに、オペラ愛好家たちも、邪道、という反対。 そんな歴史の中、スタートしたものでした。 外来の公演も、当然字幕なんてつけるべからず、という外国の有名な劇場の演出家や指揮者たち。本公演の前に、こういった関係者のために、ざわざわ稽古に客を入れて、字幕を出してみて、客の反応を試したらしい。それで、指揮者も、適切なところで客に反応がおこるという、字幕の効果を初めて知り、OKを出したという。 たった数十年前の話。 これらに出てくる指揮者も演出家も、 みんな、私たちの知る有名な今も健在の人たちばかり、ですものね。 どこの有名な大劇場も字幕なんて邪道、という風潮だったのにもかかわらず、 それが世界に普及して、今や、どの劇場も字幕がありますものね。 ヨーロッパの有名な劇場では、何ヶ国語にするとふれ込んでいたほど。 (でも、資金がなく、いまだに何カ国には対応していません。 メットも是非日本語の字幕も出したいそうです。でも、寄付金がないと駄目だって。(*^_^*)) その大元の字幕の発祥は、三百人劇場さんですって。芝居の世界から始まったんですね。 技術のほうも、 最初は思い返すと、字幕の電光が、オレンジでしたよね。最近いつのまにか白に変わりました。いえいえ、その前は、白いキャンバスのようなところに映写していましたね!そういえば。 それも、1993年に島根?だかの小さな会社がLEDの青色を発明。 それで、今まで緑と赤しかなかったところに青が加わり、白に。 さて、 そんな歴史の話も興味しんしんでしたが 次の映画の戸田さんからの熱いお話がまた大変な興味を!! まず、 映画の世界での字幕の事を聞きました。 映画ではおなじみでしたが、字幕があるのは、日本限定だそうです。 他の国は、みな、吹き替えが当然。 どうしてかというと、文字が読めないから。 日本は教育が行き届き、文字がみんな読めるから、字幕で、 本当の役者さんの生の声も知ることが出来た、という話。 でも落ちがあり、 最近字幕が極端に少なくなり、 吹き替えが多くなってしまった、と。 つまり、漢字が読めない若い人が多すぎるということに。 映画の字幕は、やはりオペラと一緒で、 さらにはそれよりも強い反対がある。 映画監督の映像の端から端に至る、完璧な出来である映像への思いがあるので、 字幕で、その映像をけがされるという。 そこへ入り込むのである。 だから、なおさら、文字を読むのに必死になってしまうなんて、言語道断。 その映像も、役者の表情もしっかりと楽しみながら、内容が分る、という字幕。 だから、秒数できまる。 そのせりふの全体の秒数、人が読める秒数が決まってくる、、、 1秒に3文字という数字が割り出され、 その文字数で訳していく。 そしてその訳も、庶民の一番ど真ん中の、誰でも分る日本語を使うこと。 だそうです。 そんな戸田さんも大のオペラファンでよく観に行くそうだが、職業柄 字幕には 色々と思うところがあるそうだ。熱く語って下って、とてもおもしろかった!! 例えば、、重唱の時、この字幕が誰が言っていることか、分らないから 歌い手の胴辺りに、空中テロップで流してほしい、とか。(^^) そんなディスカッションのなかで、私の中でも参考になることが多々ありました。 *万人に分る表現とすること、読みにくい難しい漢字や熟語、飾りは極力省くこと。 *字幕を一生懸命読む人は、初心者だけ。 オペラマニアは読まない。玄人・専門家からも文句がでないようにと配慮をして、 やたら読みにくく、舞台の上を一度も見ることができないような字幕は出すべきではない。 ⇒ 初じめて見た人が、オペラの筋が追えて、しかも、 オペラの舞台、歌手たちを楽しめる字幕にしなければならない! そうかも!(^^)/ *オペラは音楽なのだから、読んでいるほうもテンポをつかめたり、 シーンによってのテンポ覚が合う字幕の出し方。 うちでオペラの演出をしてくださっている重孝さんの字幕は、 オペラをよく知ってきた上で見ると、逆に、とてもありがたいもの。 ちゃんと、台本の通りに、台詞が字幕として出てくれるからだ。 大切なその一言を、思いをこめて最後につぶやく、 なんてシーンも、きちんと その歌手が言っているときに出てくれている。 すると、ああ!!と感動してしまう。 この感動も、今、私が少し分っているからだろう、と思う。 初心者にとって、という視点で、字幕を考えたことがなかった私には とっても新鮮!!!。 いや、まさにそれに特化して、字幕を作った公演があっても良いのかも知れないですね。 そんな、また、新しい視点を頂いたシンポジウムでした。 舞台芸術センターオペラ研究所の活動に、感謝です!!!! 追記 ひとつ、さすが戸田さんだ!!と驚いたことが、 映画の字幕を実際の映像を使って説明をしてくださるパネルディスカッションがあり、 そこでまだ未公開のハリソンフォードの最新作の映像を使って下ったこと。 すごいですねぇ〜〜〜〜!! でも、うまくその戦略にのった?か、 この映画見に行こう!と思っちゃいました、が。(^^) |
2010-10-27 Wed 22:39
日本G.プッチーニ協会四国支部のコンサートの練習の為、久しぶりに高松を訪ねた。
演出家故粟國安彦氏と四国二期会でオペラ公演をしていた頃を思い出した。
本州四国連絡橋のできるずっと以前、空港がまだ町の中にある頃で、ちょっと霧が出たら飛行機は欠航、船も欠航、やむなく四国に居座った事もあった。お世話になった高松の人の為にも、ここでの仕事を大切にして欲しいと言われていたが、四国二期会での仕事は終わってしまった。今は新しくオペラを普及する為の会の支部が出来、新しい活動で頑張り始めてくれている人達がいるので、またお手伝いできたらこの上ない喜びである。新旧入り混じっての会であるが、意欲のある素晴らしい会だと思った。新しい芽が伸びていく事はとても素晴らしい、そして音楽界の中でこれから必要となる人材を皆で育て上げようとする会は素晴らしい。粟國さんがよく語っていた事だが「オペラ公演するためには、お金が掛かる。でもお金を掛けないで、楽しめるオペラ創ることも必要なんだ。皆で創る楽しみ、それがオペラ(作品の意)の真髄だ」
新しいこの会の支部長は、粟國さんの指導を受けて育った方だ。どこかにその精神を受け継ぎながら、何かに挑戦しようとしてくれている。大変な事だと思う。少しでも応援できたら光栄だ。
粟國さんの死の間際、病室でニュースを見ながら、しゃべれないもどかしさに、手振りで表してくれた――「高松にもジェット機が飛んだ!」
飛行機が嫌いだった彼が、必死でしゃべろうとするあの姿が忘れられない。その数日後に彼は亡くなってしまった。彼と交わした身振りでの最後の会話の話題が高松であったことも何かの因縁かもしれない。
時代は移り変わり、オペラの考え方一つにとっても、あの頃の考え方とは、変わってしまったのかもしれない。しかし、“皆で創る作品、それがオペラである”という元々の言語の意味だけは忘れたくないものだ。欲望の中にオペラは存在しないし、オペラの中に欲望があってはならない。オペラの芸術性を改めて考える時かもしれない。
新国立劇場も観客動員数が凄い勢いで減っている。既存するオペラ団体も運営が厳しくなっている。一時期オペラが見直されていた時期の精神に、皆が戻るべきではないのだろうか・・・。さもなくば、皆さんオペラから去っていってしまうような気がしてならない。小さな団体に微力ながら力添えしつつ、忘れかけた精神を皆で取り戻したいと思っている。
****************************************************
星出先生から頂いた言葉に、また、あらたな意欲!です。先生有難うございます!!
以下、先生から頂いた言葉です。>^_^<
ご存知のように貴族にのみ愛されていた頃にはメロドランマと称されていたものが、庶民の力で劇場を作り自分達の手で運営しようとした頃にオペラ(Opera)と言う言葉が誕生します。即ち作品と言う意味ですが、多くの人が関わって作り上げる作品即ちオペラになったわけですが、この作品は庶民が(観衆が)最後の創造者になることによって作品が誕生する意味を持っています。その精神が無くなったら作品は誕生しません。お客様にそれを早く理解してもらう為の作品創りが大切だと思っております。(星出先生談)
演出家故粟國安彦氏と四国二期会でオペラ公演をしていた頃を思い出した。
本州四国連絡橋のできるずっと以前、空港がまだ町の中にある頃で、ちょっと霧が出たら飛行機は欠航、船も欠航、やむなく四国に居座った事もあった。お世話になった高松の人の為にも、ここでの仕事を大切にして欲しいと言われていたが、四国二期会での仕事は終わってしまった。今は新しくオペラを普及する為の会の支部が出来、新しい活動で頑張り始めてくれている人達がいるので、またお手伝いできたらこの上ない喜びである。新旧入り混じっての会であるが、意欲のある素晴らしい会だと思った。新しい芽が伸びていく事はとても素晴らしい、そして音楽界の中でこれから必要となる人材を皆で育て上げようとする会は素晴らしい。粟國さんがよく語っていた事だが「オペラ公演するためには、お金が掛かる。でもお金を掛けないで、楽しめるオペラ創ることも必要なんだ。皆で創る楽しみ、それがオペラ(作品の意)の真髄だ」
新しいこの会の支部長は、粟國さんの指導を受けて育った方だ。どこかにその精神を受け継ぎながら、何かに挑戦しようとしてくれている。大変な事だと思う。少しでも応援できたら光栄だ。
粟國さんの死の間際、病室でニュースを見ながら、しゃべれないもどかしさに、手振りで表してくれた――「高松にもジェット機が飛んだ!」
飛行機が嫌いだった彼が、必死でしゃべろうとするあの姿が忘れられない。その数日後に彼は亡くなってしまった。彼と交わした身振りでの最後の会話の話題が高松であったことも何かの因縁かもしれない。
時代は移り変わり、オペラの考え方一つにとっても、あの頃の考え方とは、変わってしまったのかもしれない。しかし、“皆で創る作品、それがオペラである”という元々の言語の意味だけは忘れたくないものだ。欲望の中にオペラは存在しないし、オペラの中に欲望があってはならない。オペラの芸術性を改めて考える時かもしれない。
新国立劇場も観客動員数が凄い勢いで減っている。既存するオペラ団体も運営が厳しくなっている。一時期オペラが見直されていた時期の精神に、皆が戻るべきではないのだろうか・・・。さもなくば、皆さんオペラから去っていってしまうような気がしてならない。小さな団体に微力ながら力添えしつつ、忘れかけた精神を皆で取り戻したいと思っている。
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星出先生から頂いた言葉に、また、あらたな意欲!です。先生有難うございます!!
以下、先生から頂いた言葉です。>^_^<
ご存知のように貴族にのみ愛されていた頃にはメロドランマと称されていたものが、庶民の力で劇場を作り自分達の手で運営しようとした頃にオペラ(Opera)と言う言葉が誕生します。即ち作品と言う意味ですが、多くの人が関わって作り上げる作品即ちオペラになったわけですが、この作品は庶民が(観衆が)最後の創造者になることによって作品が誕生する意味を持っています。その精神が無くなったら作品は誕生しません。お客様にそれを早く理解してもらう為の作品創りが大切だと思っております。(星出先生談)