2008.04.26 Saturday
フィガロの結婚(ザルツブルク)のつづき〜
JUGEMテーマ:芸能 先日のザルツブルク「フィガロの結婚」のつづき〜〜〜です。 出演のソリストの演技があまりにも上手くて、芝居を見ているようでした。 歌に気がいかなくて、「おっと、聴きたいメロディ〜だった」と、思い出したように 音楽へ耳をわざわざ傾けたりしていました。こんなこと、初めての経験。 最近やっと読みたい本を図書館で借りて、読む時間を作るよう努力が出来るようになって(やっとです、、情けないことに、、今までの勉強不足を反省して(*^_^*))、 読んでいる中の、寺崎さん(日本オペレッタ協会をつくられた方)の「人間の音楽劇」という本。 ムジークテアターの考え方と、歌役者について、熱く語った本です。 私も、初めてオペラに触れて、暫らく経つうちに、ソリストがあまりにも演技が下手なのだけど、これはオペラとう芸術には当然付いて回るものなのかなと、 いつのまにか、感覚のかななら消し去っていたのです。 それでもせめて、音楽だけは聞かせてくれなければ、、と、そちらの技術の好き嫌いがはっきりとしたこの10年ほどでした。それでも、当方の風の丘の舞台は、小さな空間なので、歌は上手くて当然ですが、演技でもお客の心を掴んでくれないと全ては水の泡、とならないよう、気を使ってきました。 ところが、ここ数年、出会ってきたソリストから、強烈な刺激を受け、 言ってみれば、感覚が普通に戻って来たのかもしれませんが、 オペラに対する見方が変わってきている自分に気が付きました。 次回のカルメンの演出を舞台の俳優さんへお願いをした経緯でもあるのですが、 オペラは、やっぱり最高の芝居なんですよね。 日本にオペラが入ってきてまだまだ日が浅く、戦争による停滞などもあり、 上手く根付く時間がなかったように思いますが、 日本では歌の技術だけが一人歩きして、学校でも歌は教えてくれるけど、 舞台捌き、演技の指導は、二の次? 10年ほど前までのオペラの客は、歌の迫力や技術だけでなく、 そういった舞台としての魅力が欧米の役者(ソリスト)との差を 感覚的に見て取り、日本人のオペラ上演を嫌っていたのだと思います。 最近は、歌のレベルは、外国でも通用するソリストがバシバシ出てきていますね。 しかぁ〜〜し!、演技が、やバイのではないでしょうか。。。。 ザルツブルク「フィガロの結婚」を見て感じてしまいました。。。。。 益々、そのソリストの芝居心・魂、が引き離されています。。。。 この外国人さんたち、上手い! 歌も勿論、なんだけど、、、それを上回る演技の上手さ、初めて目の当たりにしました。 子供向けには少々R指定が入るので、駄目なのですが、ソリストの演技は必見です! 日本のソリストにも見て欲しい、と思いました。 寺崎さんが本でおっしゃっていますが、彼の師である演出家ワルター・フェルゼンシュタイン氏は「オペラに再び真の劇的生命を与えるときが来た。オペラを再びオペラたらしめよ」と提唱、眠っていたオペラの中の劇的な面、ドラマの部分に光を当て作曲家の原典ー総譜ーを根本に深い解釈を行い、音楽と演劇の統一を図り両者が一体となって人間の本質を描く”人間のオペラ”を創造する。 更にこう書いてある。 ==フェルゼンシュタインはいう。 「歌い手が真の役者でない限り、音楽とドラマが完全に結び合うオペラ〜私はそれを"ムジークテアター”と呼ぶが〜は、実現不可能である。それでは、真のオペラの醍醐味を観客は永久に味わくことが出来ない。私は、嘘のない、ほんとうの人間を表現し得るオペラ役者を求めている。歌い手は、歌を歌う操り人形ではなく、また音楽の一部でもなく、自ら音楽を創造する人でなければならない。音楽の創造とは、楽譜の中に潜んでいる人間を、ドラマを発見し、それを本当に役になりきった人間として劇情況に応じて、自然に歌いだすようになっていくことである。オーケストラや歌い手が指揮者に従っているように観客に思わせてはならない。オペラは歌役者の王国である。歌役者が、一人の本当の人間を表現し得たとき、オーケストラも衣装も装置も照明もあらゆる舞台の要素が家来となってつき従う。それが本当の歌い手、オペラ役者、歌役者で、その時はじめて、”ムジークテアター"が可能となり、"ムジークテアター"は国民の関心事"国民音楽劇"たり得るし、国境を越え、"世界の音楽劇"たり得る」と。 これは、すご==くソリストにとっては、勉強と努力と、センスがとわれる大変な事だとは思うのですが、一観客としては、そんなオペラが見たいのです。 話し外れますが、ミュージカルは、日本の娯楽芸術として大成功を収めましたね。 その一つの要因が、やはり、役者の部分を重要視した、というか、出演者の出身が舞台役者で、その中でも歌が上手い人たちが、作りあげた芸術だと、日本の場合は思います。 演劇性が強い為、その表現に、大人も子どもも、役者の表現に引き込まれてしまう。魅了されますよね! 一方で、オペラは、歌の技術(イヤ勿論、非常に難しい技術ですから一生懸命取得しなければならないものですが)一辺倒で、音楽を重視して、観客もその評価を一生懸命してしまい、難しい学術・議論のなかにオペラがあってしまったがゆえに、感覚で楽しみたい大多数の庶民から、距離が出てしまったんではないでしょうかね。 だからこそ、私は、もっとオペラの古典にある人間の本質をえぐる表現を、歌だけでなく、演技としても表現できるような役者さんが出演してくれたら、お客さんはオペラの虜になるのではないかと思うのです。だって、その人間の本質の表現が、音楽(歌)にもされているのですから、演技の上に音楽(歌)が付いてしまったら、もう、ノックアウトでしょう〜〜。 と、いうことで、今まで、声を潜めていましたが、、ここで、どうどうと、私の好みを宣言! オペラは、歌と、演技で、魅せてほしい〜〜!! そんな出演者に恵まれて、風の丘HALLのオペラは、イツもいつも熱い舞台が 繰り広げられていると、思ってます!!(*^_^*) 追伸:この「フィガロの結婚」に出演していたソリストの皆さん、本当に役者でした!! 魅力がありました!!すらっとスタイルも素敵で、歌も上手くって、演技もすごく上手で、かっこいいんですよね。終演後ロビーで出演者のお見送りがあると、始まる前にアナウンスされていましたが、こんなかっこいいソリストに、目の前であってみたい、ドキドキワクワク、ときめいたくらいです!(*^_^*) (でも勿論、子どもが最後まで見られるわけもなく、指を加えて、2幕で帰宅、、うう、くやしいわぁ) 世界レベルを見て、日本人ソリストを応援する立場から、焦ってしまった、、、公演でした。(^_^.) |