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HOME:小空間オペラTRIADE・はなみがわ風の丘HALL
2000年より85席の小空間においてオペラ公演を続けている。活躍する多くのソリストが出演し、質の高い演奏レベルと定評。間近で体験するソリストの演技演奏の迫力は、他では味わえない特徴を持つ公演。千葉市花見川区の『はなみがわ風の丘HALL』が上演母体となっている。
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    自分を大切にすること
    JUGEMテーマ:日記・一般
     
    今まで、私は自分を嫌いで仕方なかったのですが、
    この数年、生まれ変わりはじめ・・?
    自分を大切にすることの必要性が、やっとわかり始めています。

    そこで、なぜに、私は、今まで自分が好きになれず、他者優先だったのか、
    そのわけが自分のことながら説明付かなかったのですが、
    宮沢賢二や、金子みすゞなどの例によって以下に挙げられている文章を読み、
    その理由がわかったような気がしました。

    とても面白い内容で
    納得させられる文章ですので、以下にコピーを。よろしければ読んでみてください。


    Facebook野口さんの投稿より。********************


    僕たちは
    自分の欲求や感情を大切にできるようになって初めて、
    他者の欲求や感情をも「無理なく自然に」大切にできる
    ようになります。

    ... つまり、他者と豊かな人間関係を築いていくためには、
    まず自分の欲求や感情を大切にできるようになることが
    必要なのです。



    飯田史彦さんが『愛の論理』という本の中で
    次のように述べておられます。

    「他人を愛するためには、まず自分を愛する必要がある」

    「自分自身を十分に愛している人だけに生じる『心のゆとり』
    が、他人を愛する原動力になる」

    「誰か他人を愛するためにはエネルギーを必要とし、
    そのエネルギーは、まずは自分自身を愛しているがゆえに
    自分の内部から生じてくる」



    また、この本には、
    心理学者たちの言葉もいろいろ紹介されています。

    「自分自身を愛することのできる人が、相手を愛する
    ことができるのです」
    (スーザン・キャンベル)

    「自分自身とのよい関係は、他人に対する愛や寛容
    および分別のための、一つの条件である」
    (メラニー・クライン)

    「他の人の世話係から自分自身の世話係へと、
    思いきった役割転換をやり遂げると、
    あなたの相手に対する態度はバランスの取れたものになる
    人は、健全で、バランス感覚の良い人間になるにつれて、
    より健全でバランスの取れたパートナーを惹きつける」
    (ロビン・ノーウッド)



    ロビン・ノーウッド(『愛しすぎる女たち』の著者)は、
    「他人の世話係になるのではなく、まず自分自身の世話係
    なりなさい」と言っています。

    つまり、自分の欲求や感情を大切にし、
    自分自身に対してしっかりセルフケアをすることを推奨し
    いるのです。



    ユング博士が、
    「人生の前半の課題は『自我の確立(=自分づくり)』であり、
    人生の後半の課題は『個性化』を進めていくことである」
    と言っています。

    ユング博士が人生後半の課題だと言っている「個性化」とは、
    「自分の無意識と対話しながら、
    自分の中に潜在している様々な側面を統合していくとともに、
    その過程を通して真の自分らしさを体現すること」
    を言うのですが、

    それをやっていくためには、
    まず「自我の確立(自分づくり)」をしっかりすることが
    前提条件だというのです。



    「自我の確立(自分づくり)」をする過程では、
    イヤなものや嫌いなものに対して「ノー」を言い、
    イヤなものや嫌いなもの と 自分 との間にしっかり
    境界線を引いていくことが大切です。

    つまり、
    自分の「欲求」や「好き嫌い」や「感情」を大切にし、
    自分の安全や安心感をおびやかすものを排除し、
    自分にとって安心できるスペースを確保するのです。

    このプロセスを通して、
    「自分」と「自分ではないもの」の間の境界線が明確に
    なっていき、
    それが自分の輪郭になっていきます。

    この境界線(=輪郭)がしっかりしている人ほど、
    自分というものがしっかりした線で守られているので、
    他者という存在から脅かされることが少なく、
    安心感をもって人間関係を築いていけます。
    他者に対して自然にオープンになれるのです。



    また、ケン・ウィルバーは、
    人間の心の成長過程を次の3段階で説明しています。

    プレ・パーソナル
      ↓
    パーソナル
      ↓
    トランス・パーソナル



    プレ・パーソナルとは、幼児期の段階です。
    自我が確立されていないため、
    周囲と自分との間の境界線があいまいで
    (特に赤ちゃんのときは無境界)、
    周囲の環境に対して無防備です。
    いい意味でも悪い意味でも、
    親や環境からの影響をダイレクトに受けてしまいます。

    パーソナルは、自我を確立する段階です。
    自分と他人の間に明確な境界線を引き、
    自分という主体を確立します。
    境界線がしっかりしてくれば、
    周りからの悪い影響も受けにくくなります。

    最後のトランス・パーソナルな段階とは、
    自我という個を超えた段階です。
    自分という枠を超えて、
    より大きな視点(宇宙的な視点)でものごとを見る
    ことができる、無私の心境の段階です。



    つまり人間は、
    トランス・パーソナルな段階に向かって成長・成熟して
    いくわけですが、

    トランス・パーソナルな段階に無理なく自然に移行して
    くためには、
    まず、パーソナル(自我)を確立する必要があるのです。



    これは心の逆説的な性質ともいえますが、

    自我(自分)をしっかりと大切にできた人が、
    自然に無我・無私の境地に向かって行けるのです。

    つまり、
    自分を大切にできることからくる安心感・安定感があってこそ、
    自然に他者のことも大切にできるようになるし、
    自分を超えた視点でものごとを見ることができるようになると
    いうわけです。



    僕がとても敬愛している人の一人に宮沢賢治がいます。
    僕は賢治が大好きです(^^

    賢治の詩や童話を読むと、
    彼の意識がトランス・パーソナルなレベル、
    つまり自分と他人の境界を越えた無私の段階にあったこと
    うかがえます。

    しかし、宮沢賢治という人は、
    「自我の確立」が十分にできていない状態で、
    トランス・パーソナルに向かってしまった人ではないかと
    思うんです。

    つまり賢治は、
    自分の欲求や感情を大切にすることができなかった。

    賢治の詩や文章を読むと、
    自分の中にある欲求に対して罪悪感を感じていることや、
    自分という存在に対して否定的な感覚を持っていることが
    伝わってきます。

    妹が病床に伏したときは、
    自分が元気であることに罪悪感を感じて、
    それを詩に書いているし、

    妹が亡くなったあとは、
    「決して一人を祈ってはいけない」 と、
    妹だけの冥福を祈ってしまう自分を戒めるような詩を
    書いています。

    そして、自分が肺病を患ってからも、
    まるで死に急ぐかのように、
    病気が小康状態になるとガムシャラに働くという生活を続け、
    37歳の若さで急性肺炎で亡くなりました。

    もしも賢治が、
    「何よりも大切なのは自分自身だ」 という
    すべての人間が持っている自然な本能を受容することがで
    ていたら、
    もっと楽に生きることができたのではないかと思うのです

    もっとも、賢治の素晴らしい作品の数々は、
    自我の弱さからくる繊細さがあってこそ生まれたものかも
    しれませんが。



    金子みすゞ と 山本以南 のケースも考えてみましょう

    以前、
    玄侑宗久さんが講演で

    「金子みすゞの詩の中に、生きづらさを表しているものが
    ある」とおっしゃっていました。



    金子みすゞの有名な詩の中に、

    「すずと、小鳥と、それからわたし、
    みんなちがって、みんないい」

    という言葉が出てきますね。

    これは、「自分は他のものと同じでなくていい」 と、
    自分を確立しようとしている言葉なんですね。

    自分と自分以外のものに境界線を引こうとする気持ち、
    つまり、なんとか自我を確立しようとする気持ちが
    感じられます。



    一方、みすゞは、
    「みんなを好きになりたいな」という詩も書いています。

    玄侑さんは、
    この詩に「生きづらさ」を感じるとおっしゃいました。

    すべての人を好きになるということは、
    現実的ではないですよね。
    自分の「欲求」や「好き嫌い」を抑えることにも
    なってしまいます。

    ですが、みすゞの場合、
    まじめにそれを目指したのです。

    「これは生きづらい」
    と、玄侑さんはおっしゃっていました。

    みすゞは 26歳の若さで自殺しましたが、
    夫のことを嫌いになった自分のことを受容できなくて
    苦しんだのではないかと思うのです。

    「嫌いなものは嫌いでいいではないか」と思えたら
    もっと楽に生きることができたのかもしれません。



    玄侑さんは、
    山本 以南(橘 以南)の例も挙げていました。

    以南は、良寛さんのお父さんです。
    当時、俳人としては、その名が知られた人でした。

    一方、
    当時の新進気鋭の若手俳人に小林一茶がいました。

    で、この以南と一茶が、
    「慈悲」というものをテーマにして、
    句を詠みあったのです。



    まず一茶が、
    「やれ打つな ハエが手をすり 足をする」
    と詠みました。

    それに対して以南が詠んだ句は、
    「そこ踏むな ゆうべホタルが いたあたり」
    と詠み、

    これに対して一茶は、
    「まいりました」と降参しました。



    ですが、慈悲も、
    以南の句のレベルまで行ってしまうと
    行き過ぎの感がありますよね。

    ゆうべホタルがいたかもしれない場所を踏むまい
    とするなら、
    外を歩けなくなってしまいます(^^;

    そこまで慈悲深く生きようとしたら、
    とても生きづらいのではないでしょうか。

    以南は入水自殺でこの世を去っていますが、
    そのような生きづらさをかかえていたのかもしれません。



    今回は、宮沢賢治や金子みすゞ、山本以南という
    偉大な詩人・歌人たちに対して、

    僕のような者が、
    「心の成長過程」という一面的な視点からコメントを
    してしまいました。

    しかし、僕は彼らを心から尊敬しています。

    素晴らしい作品を遺してくれた宮沢賢治、金子みすゞ、
    山本以南に、あらためて敬意を表すとともに、
    感謝の気持ちを捧げたいと思います。

    小空間オペラTRIADE・風の丘HALL mimi | 気ままな日記 | 23:46 | comments(1) | - | pookmark |
    Comment
    先日第2次世界対戦・神風特攻隊を題材としたオペラ「神風」を見て、改めて考えると、むかし?(本来?)の日本人は、みんな賢二やみすゞのような考え方だったのではないのかなぁ、と思ったりも。それが、セルフコントロールという、このことへ繋がって、さらに考えるてみると、だからもしかして、戦争へむかった??神風特攻隊も、そのひとつ??

    posted by 風の丘mimi ,2013/02/04 8:34 AM